日本人が絹を資産と思う様になった経緯

古代日本では絹布を貨幣として使用していた

三菱さんのコラムにも書いてある
www.bk.mufg.jp

 

 

聖徳銭

 飛鳥時代から蘇った聖徳太子、豊聡耳神子と蘇我屠自古物部布都の会話からも「絹織物の資産的信用」が語られる

(話変わって、神子の後ろの大量の本みたいに、床の間に大量の巻物があると画になりそう)

 

しかし実際には絹の価値は下がりやすい(劣化しやすく管理も面倒臭い)為、資産として扱うのは難しい

 

因みにヨーロッパでは宝石を資産価値を信用された為、宝石を使った文化等が発展し易かった(装身具・建材等)

 

日本で宝石の扱いは殆どなく、飛鳥時代まで勾玉が作られていたのを「蘇我入鹿暗殺事件」以降は仏教の影響で作らなくなった

その後の宝石の扱いは仏教の「数珠」や「舎利石」として扱ったり、地鎮具として埋める・荒れた海を鎮める為に海に投げる・舎利石を入れる容器にすると言った用途で使われた

 

鎌倉時代の仏像と蓮の蕾形の水晶

 

舎利石容器

 

薬師寺東塔から見つかった舎利容器

 

水晶五輪塔

 

 

一応観賞用の弄石文化等が無い訳では無いが、資産として捉えられる程の事はない

と言うのも、日本で取れる鉱石で価値が高いのは「トパーズ」位しかなく、他の石は大した金額ではないので資産になり難い

 

鑑賞用の錦石